あいかりんの絵日記

気まぐれで私の描いた絵がついてきます

新卒ブランドとの別れ

2018年4月。私は社会人2年目になり、新卒ではなくなった。


ゼロからはじまったエンジニアとしてのこの1年は学ぶことが多かったが、学ぶことと同じくらい辛い1年だった。打たれ強い方だと思っていた自分が、1年の後半にかけて、こんなにも精神的にぎゅうぎゅうになったり、突然涙が出るようになるとは思ってもみなかった。そんな自分ともお別れしたいのでこのブログを最後に心機一転したい(とはいえ、4月も中旬になってしまった)。

 

ハードワークを強いられたり、怒られたり、というようないわゆる『ブラック企業』だったから辛かったということは決してない。ただ、自分の思い描いていた働く姿と、目にする他人の働く姿とのギャップに困惑し、疲弊し、やるべきことが分からなくなった。

 

良くも悪くも、これまで仕事を楽しいと、働くこと頑張ることに充実感があると、そう感じている人たちに会いすぎていた。わたしも比較的そのタイプで、時には辛さを感じながらも、少しずつステップアップしている自分に気づく度に静かに歓喜していた。私の名前宛てにお客さんから依頼が来ると、それもまた嬉しかった。

 

でも、自分のテリトリーから少し外を見回すと、そうではない人がいた。自分の目の前にあることしかやらないスタンスだったり、依頼が来ると仕事が増えるので嫌な顔をする人もいた。

なんでだろう、なんでそうなんだろう。
その姿勢ってお客さんにも伝わらないのかな、みんな気づかないのかな。
私より社会人の先輩なのに、なんで?

 

疑問符の連続で、何故か私が悩んでしまった。大人をどう動かすことができるだろうか、私が頑張ればその姿勢を見て考え直してくれるだろうか。実践しても効果がなく、いらいらして食欲がなくなって、会社も辞めたくなって、突然平日の昼間に泣きたくなって、休日になると微熱が出る時期があった。


思い返せば小学生の頃から私は、他人が困っていたりすると関係のない私の方が怒って悩んで食欲がなくなって悲しくなって泣いて家族になだめられる子どもだった。何も変わっていなかった。

そんなとき、いつも母親は『あいかとは関係のないことでしょ』と言っていた。

 

 

そうだ。あいかとは関係ないのだ。

 

 

その言葉を思い出し、飲み込めるようになってきた。そうしたら、結構楽になった。これまた良いのか悪いのか分からないが、自分のことを最優先にして仕事をするスタイルに変えてみた。時にはヘルプを出したり、相手が上司だろうと頼むことは頼む。自分のことは自分でコントロールする。

 

1年経って、1周回った気がする。変に気張ることも、余計な虚勢を張ることも、力を入れすぎることもやめたい。今の仕事は嫌いではないし、ここまでできるようになりたいというイメージもある、でもその前に心や体がダウンしてしまったら元も子もない。

楽して、楽しく、働きたい。

 

 

2018年4月。私は社会人2年目になり、新卒が入ってきた。どうせなら、楽しそうにしているな、と思われる先輩でありたい。どうせなら、空気を介して何らかのプラスの影響を与えられる人でありたい。それが仕事であろうとも普段の生活であろうとも。

心機一転。

 

 

あいか(Twitter: @ica1299

※質問箱はじめました

peing.net

他人と住むこと、住まわれること

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この冬、25年間生活してきた実家を出た。そして一人暮らしをすることなく、他人との共同生活を始めた。他人というのは交際相手なのだけれど、血も繋がっていなければ法的に結ばれているわけでもないので、ここではあくまでも他人として書いていきたい。

 

「同棲どう?」というよく聞かれる質問に、いつも私は歯切れの悪い答え方をしてしまう。それは『同棲』という言葉に、どこか悪いことをしているような歪んだ気恥ずかしさがあるからかもしれないし、本当に歯切れの悪い感覚があるからなのかもしれない。まだそれは自分でもはっきりしていない。

 

 

私はこれまで家事と程遠い生活をしてきた。寝っころがれば私の好きな毛布をかけてもらえたし、喉が乾いたと言えば飲み物を持ってきてもらえたし、黙っていればご飯が目の前にあり、食べ終われば片付けられて、食後のコーヒーが目の前に置かれていた。それが当たり前だった。

今は。朝起きたら、週末に作った慣れない作り置きごはんをおかずに朝ごはんを食べ、寝る前に使ったマグカップと朝ごはんの食器を洗い、着替えて、歩いて駅に向かう(高1から家から駅まで車で送り迎えしてもらっていた)。仕事から帰ると、作っておいたお味噌汁を温めて夜ご飯の準備をする。その間に、溜まった2人分の洗濯をする時もあれば掃除をすることもある。食べる、洗う、干す、掃除、入浴、就寝。待機する時間が驚くほど無くなった。

 

普通にしんどい。

 

と思ったことが何度もある。結構ある。わりと今も。しんどさとは。

1つは、今までの自分の生活環境を保つことがいかに難しいかを日々突きつけられることだ。掃除しないと汚れること、冷蔵庫に入れないとカビが生えること、洗わないと溜まること、買わないと無くなること。知らなかったあれこれを目の前にして、今まで家族がやってくれていた時、あのいつもの当たり前を維持したいという思いが強くなった。結果的にその思いは仕事で疲れた私を追い詰めたし、ぱるるを超える塩対応を家で数日し続けることになった。

 

もう1つは、他人のために家でも何かをしなければならないということだ。各々がやればいい、という話だとも思う。ただ共同生活相手は生活が苦手だ。プログラムには細かいのに、生活には細かくない。ただ私は、知り合って長い付き合いであるこの人がいい年をして洋服が乾いていないだの着るものがないだの慌ただしい生活をする姿を見たくない。いやいや笑っちゃうよという感じだけれど、仕事や好きなことに集中できる環境を作ってあげたいと思ってしまうし、イケてる男性であってほしいと思っているし、何かの流れで女の子とアクシデントがあったときに冷められるようなだらしない下着を履いていてほしくないと思っている。

 

結局のところ、自分の理想を追いかけすぎているがために、しんどいのだ。理想を少しずつ自分に合わせる必要がある。でないとどんどん苦しくなる気がする。

 

 

でも、実はしんどいことだらけでもない。

 

ゴッドタンを見て一緒に爆笑もできるし、やれたかも委員会を見てやれたかも議論を熱く交わすこともできる。小腹が空いた夜にほろ酔いでコンビニスイーツを買いにいき、シェアするのもわくわくする。Google homeで会話するのも何だか面白い。今だって、勝手に電気もテレビも消えて真っ暗の部屋の中で一言も話さずにお互い自分のパソコンの光だけを頼りにして別々のことをしている。これはこれで面白い。
あれ、結構楽しいのでは。

 

他人との共同生活は、しんどいことも確かにたくさんあるけれど、それが蓄積して自分が崩壊するすれっすれのところで思わず笑ってしまう出来事もある。それは他人と自分は生き方も感じ方も何もかも違っているから生まれるしんどさであり、違っているから生まれる面白さなのかもしれない。その面白さを消さないためにも、ある程度はすり合わせ、ある程度はそのままにする、をきちんと作っていきたい。まだその構築が上手くできていないから、しんどいウェーブに度々襲われるのであろう。

 

まだ私は生活の仕方が確立できていない、ランドセルに背負われているような小学1年生的な、他人に"住まわれている"状態だ。少しずつ、この家で他人と"住んでいる"を充実させていきたい。そんな私の近況報告。

 

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今日の1枚『女の子のテンションを一瞬であげるチョロセット』

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あいか(Twitter: @ica1299

医療への愛情が仕事の邪魔をする

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---仕事に過剰な愛情を持ち込むのはいいことなのか。

 

最近よく考えていることの1つだ。

昨年の秋頃から、頼まれた作業をこなす日々から脱しようと思い始め、意識的に少し自発的に仕事をするようにしてみた。社内のやりとりの中で許可を求めるだけでなく、「こうしたらいいと思うんですけど、どうですか」的な提案をすること、お客さんとのミーティングで発言をすること、その他もろもろ。そうしている中で思うようになった疑問がある。

 

先輩たちは、医療業界を、製薬業界をどうにかしたい、という気持ちなのだろうか。ということだ。
※医療業界に程近いところでエンジニアしています※

 

私の周りの人たちは、エンジニアとしてキャリアをスタートした方ばかりだ。バックグラウンドもエンジニアであり、前職は全く医療とかけ離れた業界のエンジニアだったりする。転職の理由は様々であろうし、各々のモチベーションは私の関与すべき領域ではないと思っている。

 

でも、私は、偽善でもなんでもなく、医療・薬の業界が好きだ。

 

医療系の学部に進学した人には比較的多い気がするが、私は幼い頃から医療に対して強い思いを持っていて、それが影響して大学受験、そして現在にも至っている。いくら自分の仕事が大変になろうとも、お客さんが仕事をやりやすくなって、自社製品の研究や発売が快適になって、製薬業界が潤って、ゆくゆくは自分を含めた患者さんたちが今より豊かになればいいと思っている。かなり遠い経路だけれど、その距離感でもいいから、私は医療業界で遅れている技術領域から医療を支えられればという気持ちでやっている。これは嘘でもなんでもない本心だ。(酔っているので真面目な顔してタイピングしている)

 

でも、エンジニアのバックグラウンドから医療系エンジニアに転職した人たちはどうだろうか。全員ではなくとも、医療バックグラウンドの人よりも恐らく医療への愛情は少ないだろう。それは全く問題のないことだし、むしろその流れが今重要に違いない。でも、エンジニアでも、もっと医療業界のためを、もっといのちのことを考えて欲しい、と思ってしまう。私たちの相手にしているものは、ただのお客さんでなはく、人間の命を扱う大事な大事な仕事をしているお客さんなのだよ!と。多分私のいけないところでもある。

 

 

私の医療への愛情が、仕事の邪魔をし始めた。

 

患者さんのことを本気で思って仕事をしている人たちを、本気で技術で支えなければいけないのに、周りの人が目の前のお客さんが満足するものを提供できればいいと思っていることに、もやもやし始めてしまった。エンジニアとはいえ、命を助ける仕事の小さな一部になっていることを意識しないといけないのに、なんでみんなそうじゃないの??と。

 

ただ冷静になると、この感情の差が、医療業界がいつになってもアナログのままでいる原因なのかもしれないと感じる。ここ数年の流れを見ても、日本の医療は海外から遅れを取っている。そこから脱するためには、医療業界に開発者・データサイエンティストなどなど医療従事者とは異なる科学の知見を持った人が必要不可欠だ。それを受け入れるのは、医療バックグラウンドの人たちだ。

 

これから先、医療バックグラウンドの人がそういった技術者たちに寄り添い、技術者たちが医療バックグラウンドの人に寄り添う必要が出てくる、というか今がその時だと思う。医療は何かと特殊な業界だからこそ、きっと医療寄りの人間は、努力をしてでも技術者たちを理解し、距離を縮めていかなければならない。今までの概念から抜けていかなければならない。

 

 

私もまだまだ医療の人間から抜け出せていない。完全に抜け出すことはないけれど(抜け出したくない)、技術者たちに寄り添える医療の人間の1人になるために広い心と知識を得なければいけない。そこまで行くためにはきっと何度も苦しくなるのだけれど、そこを越えずして日本の医療は何も変わらないと思っている。

 

 

今はまだ医療への愛情が邪魔になっているけれど、

愛情を持ち合わせたまま技術と融合するきっと近い未来まで、ぐっとふんばっていきたい。

 

 

あいか(Twitter: @ica1299

譲れない私のアナログ

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ここ最近で同じようなことを他の人に言われた。

「まだ紙の本を読んでいるの?」
「音楽はスマホで聴いていないの?」

 

 

そう。
私は、本は紙の本を読み、音楽はウォークマンでしか聴いていない。
その理由を考えてみたけれど、今のままで満足しているというより、今の状態を愛しすぎている、に近い。

 

タブレットなら、1つの端末に何冊もの本を入れられるし、いつだって気軽に読めるのだろう、と思っている。読みたいと思った本を、思った数秒後に手に入れることも可能であることも分かっている。が、これまで手を出したことがない。

スマホなら、LINEもTwitterも音楽も一気に1つで楽しめる。アプリで無料またはお得な価格で好きな音楽を聴ける時代なのも承知だし、アプリのインストールはしている。が、続かなかった。

 

なんでだろう。

 

 

私は、小さい頃から本を読むのが好きだった。

冊数は多くなくとも、読み込みのめり込むタイプだった。読む伝記は今考えるともっぱら医療従事者のものが多かった。ファンタジー小説も好きだった。高校生くらいになると日常描写の多い小説が好きになり、江國香織さんの小説は特に好きだった。

 

小説を読むよりも、ビジネス本をさくっと何冊か読む方が勉強になるし成長するだろうとも思っている。インプットモードの時はそういう本も読むが、それは自分の中で読書カウントされていない感覚だ。

私の読書は、綺麗な言葉あそびと、情景と、感情に包まれることに尽きている。大したことないように聞こえるかもしれないけれど、初めて「言葉」を「ことのは」と表現している本に出会った時に日本語の美しさに感動した記憶が今でも残っている。だから、私は大学生になってから敢えて源氏物語を読んだ。原文を買いたかったが、私の古文力が弱すぎて断念した...。綺麗だと思った。源氏がロリコンだとか言われるけれど、人間と愛と情と哀しさでいっぱいの作品だった。

 

本屋に行き、直感で気になるタイトルの本を引き出し、表紙の雰囲気と後ろのあらすじを見てみる。好きな作家さんの本の並びで読んだことのないものを選んでみる。最近はそれが楽しい。書店をふらふらして、結局買わない日も楽しい気持ちになる。あの空間が自分の中の何かをくすぐっているのかもしれない。

 

 

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音楽も近いものがあるかもしれない。


初めての自分の音楽プレーヤーはサンタさんからもらったピンクのCDプレーヤーだった。大塚愛さくらんぼを初めて入れた。そして高校時代からはずっと今の形のウォークマンだ。当時気になっていた男の子から借りたCDをまとめてウォークマンに入れて、初めてのアーティストの音楽の感想をメールで伝えた記憶が今鮮明に戻ってきて非常に恥ずかしくなっている。正直当時は良さが分からなかったが、今となっては思い出だ。その時のアルバムも、友達とのカラオケで知ったRADWIMPSチャットモンチーも、aiko阿部真央絢香もSuperflyも、3代目の現ウォークマンに引き継がれて残っている。

 

音楽は一番好きだ。今の喜怒哀楽が、その音楽との思い出とその時の感情にリンクして私を解放してくれる。ただそれだけのためのデバイスが私のウォークマンだ。邪魔するものが何もない。

未だに聴きたい音楽があると、TSUTAYAでCDをレンタルしたり購入したりしてウォークマンに入れている。超アナログだけれど、ダウンロードしている間にCDの中の歌詞カードを眺めることも楽しくてやめられない(aikoのCDはパカッとケースを外すとメッセージ書かれていたりもして、当時の楽しみの1つだった)。今ではサカナクションのライブはめちゃくちゃ行くし、今年はクリープハイプ椎名林檎のライブがスケジュールされている。耳だけでなく、目でも、体でも、音楽と一体化したい気持ちが強すぎるのかもしれない。

 

 

これが私が本と音楽でアナログを貫き通すことについて、他人を納得させる理由になっているとは到底思えないけれど、デジタル化できないのは、私が趣味を満喫するにあたって今のアナログ方式が大好きすぎるからなのだ。

だから、周りがタブレットを推そうが、スマホ音楽を推そうが、紙の書物とウォークマンが消えるまではアナログのままだと思う。ちなみに、私の方法を他人におすすめしようとは全く思っていない。個人個人が好きな方法でノンストレスな方法で楽しむのが一番だから。

 

宇多田ヒカルのCMが綺麗だったので、さすがにイヤホンはそろそろワイヤレスにしようと思う。

 

あいか(Twitter: @ica1299

 

 

 

ちなみに、、、

本をバッグに入れるのと、タブレットをバッグに入れるのを考えた時に、どちらにしてもバッグのサイズ自体は変わらないから本のままでいいや、と思った背景もある。小さいバッグでおしゃれしたい時にはタブレットすら入らない(長財布ももちろん無理)という問題は個人的に重大だった。。。

執着しすぎた一年でした。

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今年は1年のまとめ的な記事は書かなくていいやと思っていたのですが、先日のしおたんさん(@ciotan)のmilleuの記事を読み、なんとも言えぬ衝動を感じたので年の瀬にブログを更新することにしました。


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今年は、目の前の環境ややるべきことに執着しすぎた1年でした。

 

◼︎仕事

仕事なんて辞めたくなったら辞められる、くらいの気持ちで入社しました。
が、実際のところ色々と壁になることも多いものなんだなあと思うことが増えました。

 

「まだ何もできないのに」

「あと少し頑張れば」

「実力がついたら」

 

どれもゴールを迎える時期が分からないのに、これらのことが頭をよぎりまくり、仕事と自分について、理想の医療と現実の医療について、たくさん考えました。考えても答えなんて出るはずもなく、ただただ考え込むばかりでした。

 

ここから脱するための行動を少しずつ起せるようになったのは10月頃。かなり時間がかかってしまいました。現時点で先輩たちに勝てることを見つけて実践してみること、ランク問わず社員の方たちをよく観察すること、医療業界だけでなく医療系の事業に興味を持つこと、社外に目を向けて社内を客観的に見ること。

今まで自分に振られる業務に気を取られて精一杯だったけれど、知らぬ間に世間は高速で動いているんだと気付かされることも多かったです。では、この高速で変化する昨今の医療に対して、何をするのか?何をしていきたいのか?考えることも勿論だけれど、考えを話すこと、実行すること、形にすることを意識するステップに進んでいきたいです。

 

目の前にあることに夢中になりすぎて、自分だけで悩む時間があまりにも多かった。「新卒」で「未熟」で「会社員」であることに執着しすぎた1年でした。(会社は辞めません)

 

 

 

◼︎生活

大学入学から6年半、埼玉から東京まで往復3〜4時間程度かけて通学通勤していました。家から通うことで、金銭的余裕もあるし、食事にも困らないし、親にも心配をかけないと思っていました。

 オフィスも品川に移転したので、タイミングも良いしと都内に引っ越しました。引っ越してみたら、とりわけ食事に困るわけでもなければ、金銭的にカツカツしそうというわけでもなく、なんだかんだで実家に帰りまくりなので快適になりました。

 

今が一番良い状態、と思いすぎると何も出来ないのかもしれない。一番、なんてことは一生(は言い過ぎだけど)訪れないのかもしれない。

 今までの「生活」「安心」「安全」に執着しすぎた1年でした。ちなみに今まで何もできなかったけど、大体の家事ができるようになりました、万歳!

 

 

今、目の前にあることをコツコツこなすことも重要だけれど、今の場所・今の人・今の環境に依存しすぎないように、執着しすぎないように、そんな2018年にしていきたいです。たくさん執着した1年だったから、その次へ行ってみたいです。

 

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 色々な停滞期を抜けたので、もっと明るく生きていく所存です。そして、都民になったので前より遅くまで飲みに行けるようになりましたー!

どうぞ気軽に誘っていただけると嬉しいです!ほいほいついていきます!

 

来年も宜しくお願い致します!!!

 

あいか(Twitter: @ica1299)