あいかりんの絵日記

もれなく私の描いた絵がついてきます

私の好きな人 3選

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みなさんこんばんは。文化的な1日を過ごしましたか?私は文化的に家でまったりと体を休めていました。最近ブログに書こうと思っていることがいくつかあるのですが、パソコンのバッテリーが少ししかありません。でも今日は絶対にブログを更新するぞ、と決めていたのでテーマをガラッと変えてさくさく書きます。

 

めちゃくちゃどうでもいいだろうというテーマなので恐縮ですが、たまには私のこだわりでも書いておこうという試みです。テーマは『私の好きな人3選』、ね、どうでもいいでしょう。ちゃんと異性でいくよ。番外編もあるよ。

 

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1. 知りたい人

私は勉強することが好きです。その深さは問わないので、深くやるときもあれば軽く調べ物をするだけのときもあります。でも「知らない」よりも「知っている」状態でいたいし、同じ疑問を持った人と同じ場所にいたとしたら私の方が先に知りたい。若者はすぐにスマホで調べる〜とか言われるけど、いいじゃないですか調べたって。ググるの最高です。だから、私が嫉妬してしまうくらいに「知りたい」に溢れた人が好きなのです。あわよくばその人からも勉強出来るしね。

 

 

2. くだらないことに全力な人

くだらないことは正義だと思っています。くだらないことを鼻で笑うだなんて、なんてもったいない!正直くだらないことが将来役立つかとか言われたらそうではないかもしれいのですが、価値不明なことに価値を見出したい。空想に花を咲かせるのもいいし、くだらないモードに全力でいる人は魅力的に見えます。それをずっと眺めていたいです。斜め45度から(角度大事)。そしてくだらない企画のお笑いを全力で一緒に楽しみたい。引くくらい笑うと思うけど、気にしないでほしい、楽しいから。ガキ使最高。

 

 

3. 明るい変態の人

これね、わかってもらえないことが多いのですが、明るい変態が好きです。謙虚で素直な変態が好きです。この時代、ヒトが世界を動かす権利を持っているわけですが所詮1つの生物にすぎません。もし大昔に何かが起こっていたら他の生物が権力を握っていて、ヒトは食料要員になっていたかもしれないわけです。その中で、偶然の重なりでこうやって自由に仕事をして、食べて、寝て、生活出来るのは幸せなこと。だから生物として性にも貪欲で素直でいることが「生き物らしい」と思うのです。絶滅する前にね、生き物として本能発揮していこうって感じです。かっこよくない?

 

昨日、論破してくれる女性はエロいみたいなことをTwitterで話していた男性がいたのですが、そういうのとてもかっこいいなと思って見ていました。

 

 

(番外編)

4. 横断歩道で車が止まってくれていたら、小走りで渡る人(会釈もしてほしい)

歩行者優先だから〜と堂々と歩く人は置いていきます。確かに何か事故ったら車の運転手が罰せられるけど、正直理不尽じゃない?と思うのです。飛び出してきたのが人だとしても悪者になってしまうのだから。だからさ、横断歩道を渡る数秒くらいは急いで渡る素振りしてほしいし、申し訳ないです、ありがとう、の気持ちを出してほしい。

 

 

5. 筋肉をつけすぎていない人

筋肉怖い。りんごみたいにつぶされそう。

 

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以上です。

あまり女性に理解されないので、共感は求めていないです。ちょうど今、結婚したい芸能人は?という企画のテレビ番組を見ているので書いてみた次第であります。あまりパソコンのバッテリーも消費せずに書けたので満足です★

 

あと1日がんばりましょう...!!!

 

あいか(Twitter: @ica1299

イマドキ★ヘルスケアメディアに言いたいこと

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メディアとか言いながら超アナログなノートの写真をあげたのは、私が医療分野でやりたいこと・将来やりたいことがここに詰まっているからです(汚いのは使い込んだのと自己管理能力不足)。 

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それはさておき、最近「ヘルスケア」「医療×AI」みたいな言葉を耳にするようになった気がする。私自身、医療やヘルスケアに興味はあるし、この領域がどんどんデジタル化されていく未来にも興味がある。それが実用化するしないは関係なく、テクノロジーが医療領域に食い込んできたことは純粋にわくわくする。

 

時代がそのように動けば、ヘルスケアとITを組み合わせた領域の事業を始める人は多くなる。実際にベンチャー企業から大企業まで規模を問わずにヘルスケア×ITの事業が始まった例も目にしている。多く存在する事業の中で、最近良くも悪くも目につくのが「ヘルスケアメディア」だ。
(私自身言葉の定義に詳しくない気がしているので、医療やもっと広くヘルスケアに関わる情報を発信したメディアをこのブログ内では「ヘルスケアメディア」と呼びたいと思う。製薬会社や病院等のサイトは除きます。)

 

メディアなので言ってしまえば誰が書いたっていい。だからググればたくさんのヘルスケアメディアが出てくる。本当に多い。正しい情報が書かれているかと言えば、そうでもなかったりする。でも内容は、私たち人間の体・健康、突き詰めれば命に関わってくるとても責任感の大きなメディアだ。休日デートのおすすめを紹介するくらいの気軽さではないのだ。

 

私は情報発信をすることも好きだったので、これまで大学院に通いながら会社規模も様々な3社でヘルスケアメディアのライターなどのアルバイトをしてきた。どの会社も特徴があってとても良い経験になった。メディアに触れる消費者側だけでなく作る側も少し経験するうちに、増え続けるヘルスケアメディアへの期待と不安を抱えるようになったし、こうなったらもっと良くなるのにという願望も強くなってきた。ヘルスケアって?医療って?と考え込むことも増えた。今日は最近私が考えている在るべきヘルスケアメディアについて4つほど書いていきたい。

 

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1. 医療従事者による確認がなされた情報を発信している

つまり、正確な情報であるということだ。ヘルスケアに限らないが、当たり前なようでそうではないメディアはも多い。学生の私でも「おかしくない?」と思わされるものもある。世に出回っているメディアの医療情報は医療従事者が書いた情報だと思っている方も多いかもしれないが、書いている人が医療従事者のケースもあるが、そこら辺にいる主婦や私みたいな学生だったりもする。企業側の人員等の事情もあるだろうし、書く人が医療従事者であることは必須ではないと思うが、それを誰がどのようにどんな基準で確認して発信されているのかは重要だ。

 

ヘルスケア、医療領域は趣味で済む領域ではないと思う。だからこそ、メディアの最低限のハードル以上に、この言い回しは誤解を招かないか、病気の人やその家族に不快な思いをさせないのか、というようにもっと多方面からの医療の知識や患者を含めた気遣いを集約させる必要があるのではないか。

 

おそらく10人の医師に1人の症状の治療方針を考えてもらったら、1つの答えが返ってくることはないと思う。それと同じく、書く人が多くなればなるほど読む人が増えれば増えるほど書き方捉え方が増えてくる。医学的に見て、医療心理学的に見て、その文章が許されるものなのかは学生時代の6年ないしそれ以上の経験があって初めて分かってくる気がしている。それくらいヘルスケア情報は正しさに対して厳しくあるべきだし、そうであってほしい。相手は命だからだ。

 

 

 

2. 安心感を与え過ぎず、不安にもさせる要素がある

病気になったり不安なことがあると私たちは健康な時とは違った思考をしがちになる。

私の話になるが、今日は習い事の試験があったので無意識に昨晩から気が張っていたらしい。健康だったはずが、夜中突然始まった頭痛・吐き気・止まらない涙に悩まされていた。完全に精神的要因だったのに、不安になった私はスマホで色々な病気を検索してしまった。よくよく考えればただの一時的な緊張が原因なものを、病気にでっちあげかけたのだ。お陰様で試験の終わった今は健康そのものだ(笑)。(あと寝る前に怖い漫画を読んでしまったのもありえる)

 

この例えが適切かどうかは分からないけれど、私は人間なんてちょろい存在だと思っている。ちょっとの体調不良でも、ググったらどうやら重病かもしれないと思う人もいるだろうし、逆に早急に病院に行くべき症状なのに、ググったら同じような人いるからいいか!となる人もいる。自分の都合の良い感情に現実を持っていきがちなのだ。

 

だから、「あなたみたいな症状は、○○が原因の場合が多くて、そういう人は日本で○割ほどいます」というように「自分だけじゃないから安心、そんなに思い詰めないでいいみたい」と思わせる路線のメディア。または、「あなたみたいな症状は、○○という病気かもしれない、その病気の死亡率は○○%です」というように「やばい病気かもしれない、不安で集中できない」と思わせる路線のメディア。これらはどちらにも過剰だと思う。良い悪いどちらの可能性もあることを私たちに教えてくれるメディアならば、偏った意見に惑わされることから少しは救ってくれるのではないか。

 

 

 

3. 何かあった時に逃げない体制、姿勢がある

究極を言えば、私たちはヘルスケアメディアの情報によって健康を害することがあるかもしれない、死ぬかもしれない。「書いてあったから信じたのに、後から病院に行ったらもうどうにもならないと言われた」なんてことは起こりうるし、今後この領域のメディアが増えればそのリスクはもっと上がる。そうなったときに、運営会社はどのような姿勢をとろうとしているのかは重要だ。

 

もちろんそのような最悪の事態に予め備えることは可能だ。「うちが出している情報はインターネット上の情報に過ぎないので、信じるか信じないかはあなた次第ですので責任は負えません」みたいなスタンスを鼻から出すことだ。そうすれば、「そう言われても、弊社はこういうことを出していたので」と言える。私もリスクヘッジは大事だと尊敬する先輩から学んだ。が、この場合のリスクヘッジは完全に逃げでしかないのではないか。最初から怯んでいるし、その情報の正確さに自信を持っていないとしか思えない。

 

インターネット上の情報は山ほどある。その中で正しい情報を選ぶのは私たちだから、正しい情報を選択できなかった自分が悪いのかもしれない。でもこれは、卒論データに適した情報を拾ってくるのとは話が違う。大袈裟かもしれないけれど、人の命に関わる情報だ。最初から逃げられても困るし、それくらいの気持ちでいるならやめてほしい。人の生死に責任をとれるだけの信念を持った人たちが運営していくべきだと思う。私たちの命を軽く見ないでほしいのだ。

 

 

 

4. “心から”人の健康と幸せを考えている

そう思っているからヘルスケアメディアを始めたのだとは思うし茶番っぽいけれど、やっぱりここは大事だと思う。医療×ITは流行りだし、始めれば注目もされるし出だし好調で儲けも出やすいのかなとは思う。だからなのか、ぜんっぜん今まで違うサービスをしていた人が急に「医療始めました♪」となっているのを見たことがある。そこにきちんとした問題意識など背景があればいいのだけれど「人は健康であるからこそ、好きなことが出来るので〜」というそもそも論を展開しているのだとしたらやめてくれい!という感じだ。

 

そりゃ健康でなければ何も始まらないかもしれないけれど、そんなこと就活生でも言える(実際就活中に耳にしたことがある)。「人がいる限り、ヘルスケアはなくならない業界だからやる意味がある」と言っていた企業もあった。確かにそうではあるが「え、だからやるの?もっとないの?」とちょっと思ってしまった。なくならない業界だから、それだけ競合もいる。だからこそ他の企業がやらないオリジナリティなヘルスケア事業を自分の会社でやっていかないといけないのではないか。

 

多くのヘルスケアメディアが生まれている今だからこそ、単純に人の健康を思うのではなく、もっと私たちは気づいていないけれど実は抱えている具体的な医療問題を追及していくメディアが増えていってほしい。

 

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ここまで書いておきながら、ヘルスケアメディア運営しているのって会社だし、会社相手に自分言いたいこと言っちゃってるのやばいのではという複雑な気分です!!怒らないでください関係者の方!!でもこれから始める方には少しでも参考にしていただきたいです!!

 

まあ私が薬学を学んでいるから過剰にこの領域の話に敏感なだけで、他の領域のメディアとかも同じようなことがあるのかもしれないけれど、でもこれが今の私の純粋な意見であります。

 

そうでなければ、せっかく発展し始めてきた医療領域へのテクノロジー全てが信憑性の薄いものになってしまいそうで怖いから。少しでもインターネットというものに不信感を感じる人が増えたら、テクノロジーが悪だと感じる人が増えたら、今後もっと命に関わるこのヘルスケア領域にそれらが参入することを私たちは拒絶してしまう気がするのです。

 

  

これからも新しい研究が、技術が、医療に導入されて未来が明るくなりますように。
そして私もいつかはそこに貢献できますように。

 

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今日の1枚『言いたいこと言ったけど許してね、の図』

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あいか(Twitter @ica1299

学歴コンプレックスから卒業します。

8月1日から更新が止まっていたのにびっくりしています。そして、今回はめんどくさいので画像も何も載せられる気がしません。笑

 

 

タイトルにも書いた通り、やっと学歴を捨てられる時が来そうなので記念にブログを書こうと思ったのです。かっこ悪いし、あまり口に出したことはなかったのですが、私はずっと学歴コンプレックスに悩まされていました。囚われていたの方が正しいかな?自分で言うのもなんだけれど、わりと名は知れている大学に通っているのも承知だし、それなのに学歴コンプレックスに囚われているのもおかしな話ですが、自分と他人の学歴や能力が気になって仕方がない症状を抱えて10年近く過ごしてきました。

 

 

 

なんで学歴コンプレックスを持つようになったのか

スタートは高校受験。もともと週3通いしていた塾では土地柄?優秀な方で期待はされていました。家でも勉強しろと言われないながらも、期待感は感じていました。学校も勉強モード。受験生だから仕方ないけれど、どこに行っても勉強勉強で、初めて勉強が嫌になりました。そして、この時期に頑張って良い高校に入ることが正解だと思ったことがコンプレックスのきっかけになりました。正解して、褒められたかった。

 

 

 

コンプレックスの悪化

結果自分を精神的に追い詰めすぎたのもあり第一志望は落ちたわけなんですが、高校の3年間でのコンプレックスがまあすごかった(笑)。準進学校みたいなところでした。ここでは敢えて伏せますが「〇〇レベルの大学に入るのは当たり前だ」と1年生の時から言われていたので、そういうものなのかと思ってしまっていたけれど実際そんなに簡単ではないわけで。模試の成績でクラスが分けられ、偏差値が下がって泣いていた人もいるくらいでした。その中で、普通に楽しく高校生活を送って3年生になりました。

 

私大より国公立と言われて来たけれど、センターで滑った私は国立に落ちて私大に行くことになりました。クラス全員の進学先が掲示され、誰もが知っている国立早慶医学部の羅列が苦しかった記憶があります。旧帝大、国立、早慶上智理科大、MARCH、よく言われるそのくくりに入っていない自分が悔しかったし負けたと思いました。

 

翌年の高校のパンフレットにも、私の実績は申し訳程度に載っていて悔しかったなあ。せめてもの救いは、小学校からの友達も名の知れた大学なのにその括りじゃなかったからという理由で私と並んで実績が載せられていたこと笑。

 

職員室にも貼られた学年の合格一覧を見ると、国立も早慶の人数にも入っていない自分がいて。「先生に貢献出来なくてすみません」と言いました。先生は「理系は特にだけど、大学よりも研究内容とか、やってきたことだから。貢献とかじゃないよ。」と言ってくれて、めちゃくちゃ安心しました。けど、どこか同級生と比較してコンプレックスを持っていたので、大学に入ったら編入する気でいました。

 

大学に入ったらそんなことも忘れ、編入もせずに進級し、就活時期に再び学歴について考えさせられました。高校の先生は学歴じゃないと言っていたけれど、どうやら学歴フィルターはあるらしいと。やっぱり大学名は大事なんじゃないかと。

 

 

 

学歴コンプレックスを忘れるきかっけは就活だった

就職活動をして内定をいただいて、その過程で、やっぱり学歴だけが見られているわけではないということを実感しました。同期になる人たちには、頭の良い方々がたくさんいました、ちょっと焦った。でも、やっとそこでずっとコンプレックスを持っていた人たちと同じところに立てたわけです。ここからだぞ、と思いました。

 

 

今の私のモチベーション故なのか、その辺りはわからないのですが、やっと今まで嫌だった自分の学歴コンプレックスがやる気みたいな自信みたいなものに変わりました。ここからは、そんなことは関係なく1人の社会人としていられるのです。もしかしたら働き始めたら同じことを感じることがあるのかもしれないけれど、でも自分の大学がどうとかは今までよりもなくなっているのだろうと。

 

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コンプレックスを感じるポイントは、学歴だけじゃなくて人それぞれだと思うのですが、コンプレックスを忘れるタイミングもまちまちなんだなと実感しました。何がきっかけに始まるかも、何をきっかけに終わるかも分からない。でも、何かのタイミングがぴったり合えば綺麗に卒業出来るのだろうと思います。

 

やっと今までの呪縛から解放されるようになったので、ここに記しておきたいと思います。

 

 

 

あいか
Twitter @ica1299

 

 

 

 

 

 

 

 

嫌いな人がいること

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突然ですが、質問です。
あなたには、嫌いな人がいますか?


“嫌いな人”と聞いて、誰かの顔が思い浮かぶ人もいれば、誰も思い浮かばない人もいると思います。嫌いな人がいるから悪いというわけでもないし、みんな良い人!と思っている人が素晴らしいわけでもない。人間って難しい。

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夏本番を目の前にした爽やかなこの季節に“嫌いな人”について考え始めた、23歳の今の私には嫌いな人がいません。ですが過去を振り返ると、小中学生の頃は嫌いな人がいた記憶があります。ということは、年をとるにつれて嫌いな人がいなくなるのか?と言いますとそうでもありません。同年代の人から『誰々が嫌い』という会話を耳にすることはありますし、人それぞれなのかも?



嫌いな人がいない私ですが、人に無頓着ということはなく、むしろ人の奥深くが知りたくて仕方がなくなる性格です。私の知り合う人がみんな良い人すぎるのか?そんなわけないよね?!絶対そんなことない!!(失礼)

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なぜ嫌いになったのか。

嫌いな人がいた小中学生時代、なぜその人を嫌いになったのか思い返してみました。

・嫌なことをされたから
・自分としてはありえない行動をする人だったから
・友達からその人の悪い噂を聞いて、嫌だなと思ったから
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んん?最後の2つ、自分は何も害を受けていなくないか??

 


そうなのです、私はその人の上辺の部分だけを見て聞いて『嫌い』だと思っていたのです。だから、いつからその人を嫌いではなくなったのか覚えていないし、そもそも本当に嫌いだったのかも疑わしい。


小学生のときに足が速い男の子を好きになったり、おもしろい人を好きになったりするのとなんだか似ているのかもしれません。

好きと嫌いを感じるきっかけは本当は単純なことが多くて、でも“好き”という感覚を感じる機会の方が日常的に多いから、だから“嫌い”より発達が早かったのかもしれない。というより、“好き”に貪欲になったから、人は色々な条件を満たさなければ好きだと感じなくなってきたのかもしれない。

 

 

では、“嫌い”は?嫌いに貪欲になったら人を嫌いにならなくなるのか?

 

 

なぜ人を嫌いにならなくなったのか。

幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、大学院、色々な学生時代を過ごし、その過程で色々な人と出会ってきました。多分私は高校時代が節目になった気がしているけれど、人と違っていても良いということを実感したのがきっかけだったのかなと思っています。

 

国語や道徳の授業でみんな違っていいんだということは散々聞いてきたけれど、まあそんなに簡単ではないわけです。自分を守るために、多数派や強い立場に意見を寄せたりするのは当たり前でした。そして高校に入学。高校に入ったからなのか、高校の同級生たちがそうだったからなのかは不明確だけれど、ある意味周囲を気にしないというか、自分勝手に意見を言う人たちにたくさん出会いました。なので私も何でも素直に話すようになりました(暴露癖があるのはこのせいだと思っている)。それでも友人関係が壊れることはありませんでした。

 

そして大学に入り、もっと広く人間関係が構築されるようになりました。本当に色々なタイプの人と知り合ったと思います。そうしていくうちに、他人の心の中やパッション的なものに魅力を感じるようになり、それが自分自身のエネルギーになることに気付いてきました。なので知り合った人のことは出来る限り、どういうことをしている人なのかとか、どういう趣味を持っている人なのかとかまで知るようにしていました。話して情報収集もするし人間観察もするし、ネトストもする笑。

 


私も人間なので、あまりこの人とは合わないなと感じることもあります。でもその人は、自分が出会ってきたタイプに当てはまっていないというだけ。だから嫌いにはならない。普通だったらドン引きするような趣味を持っている人のことも面白いと思えるようにもなりました。

 

 

『みんな違ってみんないい』が認識から行動、思考に染み付くようになったのです。
金子みすゞさん、ありがとうございます。

 

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嫌いな人がいるとその人の全てが見られなくなります。嫌いになるのは一瞬だから、あと少し長く見ていたら気付けたはずの良いポイントさえも目に入ってこず、むしろ拒絶してしまう。でもそれによって、自分自身の人間関係は洗練されるのかもしれません。気の合う好きな人たちが周りに増えてくるから。それが洗練というのかもわからないけど。

 

でも、まだ23歳のペーペーでも、生きていたらそんなに都合よく気の合う人だけと過ごしていられるわけではないことは分かります。嫌いになることが身についてしまったら、自分が苦しくなるときも増えていく気がするのです。

 

 

平和に生きているのはつまらないけれど、誰かを嫌いになって人間関係を壊すことで平和を崩すくらいなら、新しいこと新しい人に挑戦して平和を崩していったほうがハッピーなのでは?と思う私でした。

 

 

 

どうでもいいけど、好きな人がいること的に私も桐谷美玲ちゃんみたいにイケメン3人と一緒に生活したいし、だとしたら、福山雅治玉木宏神木隆之介の3人がいいです。翻弄され続けて失神しそう。

 

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今日の1枚『ggrks』

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あいか(Twitter: @ica1299

夏だからといって乱れちゃあいけないよ!

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夏だ!夏バテだ!
(写真は昨年夏の研究室旅行の私。先輩にバスケットボールを投げつけた後に、反撃から逃げている図。ガキ極まりない。)

実はここだけの話、最近わたしの研究室の整理整頓能力と時間管理能力が緩い感じになっていました。写真のガキさからも察することが出来るかと思いますが、私は掃除は得意ではないし、時間にストイックなわけではありません。だから、私が言うのも何なんだけど、でも気になったから書き記します。

 

物を整理すること、時間を守ること、これらが破綻したときに何が起こるのだろうと考えてみました。

 

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整理整頓が出来なくなると?

研究室などの共同生活をする空間の中で、例えば1人が自分のものを片付けなかったり共有器具を出しっぱなしにすると何が起こるのか。これは人間の心理的問題なのか分からないけれど、「他の人も置いてあるから、自分も少しの間置いておこう」みたいな考えが出てきてしまう。それはどんどん広がっていき、誰かがそれを阻止しない限りは止まらなくなってしまいます。

いやいや気付くだろう。と思うけれど、徐々に広がっていく乱れには、人は案外気付かないものなのです。ふと見回したときに「あ、汚い」と思った時にはもう遅かったり。


途中で気付いた人がいても「自分がやったわけじゃないし」と思って終わりにしてしまったら、何も変化がないままで秩序が乱れていくのであろうと。

 

 

 

時間を守れなくなると?

時間を守るという行為は、他人に迷惑をかける場合と自分だけに負荷がかかる場合に分かれると思います。1人が時間を守らなくても上手いことやり過ごしていると「自分もいいかな」という連鎖を引き起こしますし、時間をなあなあに過ごすということも連鎖を引き起こすので、Wで良くないことが起こるのが時間の悪いところ。

 

整理整頓のように目に見える乱れではない分、時間に緩い自分から逃げようとすることは十分可能です。だから怖い。自分への甘えも無限になっていく。自分が自分に甘いことには気付かないけれど、他人は気付きます。甘えが大きくなればなるほど、他人からの評価は下がっていくと思っています。怖くない?

 

もしも時間への甘えが、人から人へと感染していったら。。。
何が正しいのか分からなくなってしまうかもしれないし、時間通りに動いたり、てきぱき効率良く動く人が馬鹿みたいに思えてくるかもしれない。正直なところ、共同生活空間における時間の乱れの連鎖は想像したくない。

 

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恥ずかしながら、整理整頓の乱れも時間の乱れも、私の研究室で起こっていました。でも、何人かの学生から徐々にそれを改善させるような行動が始まり、今では実験台はきれいで快適になりました。時間は見えないから分からないけど、私は勝手に自分の時間の使い方を見直したりしています、こっそりと。笑

 

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周囲を綺麗にしたら、時間を守ったら、何が起こる?

整理整頓の件について、私個人の意見ではありますが、少しの乱れが気になるようになりました。今まではたくさんの乱れの連鎖が起こらないと気付かなかったはずなのに、少しの乱れに敏感になり、悪い連鎖の前に阻止出来るようになったのです。

 

そして、時間の使い方を見直してみたら、研究室を出る時間が少し早まりました。私の場合は遅い時間に新しいことを始めると集中力低下によって失敗する傾向もありましたし、毎日遅くまでやっているとモチベーションの低下が著しかったので一石三鳥くらいです。


結果として、良いことが多かったわけです。

 

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身の回りを綺麗にしたり、時間を守ったり、基本的で簡単なようなのに難しくて。でも改善すると、今までなんだったの?と思うようになりました。少しだけステップアップした気分です。


恐らく、生活している中で感じる小さな違和感は、本当に小さな乱れの積み重ねなのかなと思います。それを少しずつ改善していったら、また違う違和感に気付いて、それを改善していって。常に課題は出てくるのだろうけど、そういうものなのでしょう。

 

こういうことに気付かせてくれるきっかけになったので、一時の汚くなった研究室の実験台にも感謝して明日からも実験を頑張ろうと思います。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

...ここまで書いたのだから、次は自分の部屋を綺麗にしたい。

 

 あいか(Twitter: @ica1299