あいかりんの絵日記

もれなく私の描いた絵がついてきます

薬学部に入学して気づいた3つのこと

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はじめに。

この記事は今年の振り返りではありません。


強いて言うならば、薬学部・薬学研究科で過ごした6年間の振り返りです。

卒業前に公開すると、怒涛の卒業前の思い出の振り返りSNSと被ってしまう不安があったので、あえてこの年末にしました。

今日のブログははっきり言って誰のためでもなく今後の私のために書いています。
でも読んでほしいです(我儘)。

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薬学部に6年通って思ったこと。

 

1. 薬はやっぱりおもしろい

暗記するのが死ぬほど嫌いだった私にとって、大学入学後の私は暗記だらけの薬学知識にうんざりしていました。そのページを丸々覚えれば点数を取れる、成績が上がる、好きな研究室を選べる可能性が上がる、、って頭の良さなんかより暗記力良いだけでいいじゃんか!!と。後にそれは暗記力というより『決められたことに対して如何に努力が出来るかどうか』が試されているのではないかという考えに変わっていったわけではありますが、人より覚えられれば頭いいね、と崇拝されるシステムには未だ納得していません(話がずれた)。

 

そんなこんなで、大学3年くらいまで薬学の勉強つまらないなーと思っていました。でも研究室に配属した大学4年頃から、薬学の勉強が劇的に楽しくなりました。やっと薬とは?体とは?健康とは?命とは?と薬と自然現象をリンクさせられるようになりました。薬学を知識として、というよりもっと広く捉えられるようになったという感じ。

薬学を勉強する意義が自分の知識のためだけではない、ということは大きな気づきでした。そうすると薬への疑問が生まれ、問題意識となり、それをどうにかしたいという目標になり、勉強する意義が自分以外に向けられました。未来があったほうが圧倒的に楽しい。

 

 

2. 薬の知識はどこにでも生かせる

薬学部に入学した時、製薬会社の研究職に就くという夢がありました。そのちょっと前までは薬剤師になろうと思っていました。でもこれは、研究職に、薬剤師になりたかったからではなかったようなのです。

その選択肢しか知らなかっただけでした。
薬学部に進んだら、そうなるものだ、そうするべきだ、と思っていただけでした。

学んだことを生かす道は知れば知るほど多かったのは正直言って衝撃でした。知らないことって怖いなと思いました。だって知らなかったら、自分の将来の選択肢がどんどん狭まるのだから。せっかく勉強したいことを勉強できたのだから、自分の知識には自信を持っていきたい。

知識を生かす道を知ることは、私の医薬品に対する欲望をどんどん貪欲にさせました。幸せな欲望だ。

 

 

3. 薬のことだけ勉強するなら誰でも出来る

言葉強めに書いてしまいましたが実際私が最も感じたことです。様々な視点から『薬に関わる』講義を受け、勉強してきました。


でも周りを見ると、習熟度は違えど同じ勉強をしている同級生が私の大学ですら300人いました。てことは、薬学部生は東京都内には何人?関東には?日本全体では?

薬の勉強がしたかったから本望なはずなのに、みんなと同じことしか知らない自分が不安になりました。みんなと同じことをするのも生きるために大事な時もあるんだけど、生意気ながらみんなと同じで埋もれていく自分は見たくない。大勢の中でひと際目立つほどの美貌でもなければ、大勢を統率するほどのリーダー性もない、そんな中で埋もれないためには薬学のほかに自分が頑張って他の力をつけていくしかないという結論になりました。

薬の知識を極めることも手ではあります。ただ、薬剤師の資格を取れない※)  私にとっては余計に、知識の定量が出来ないことがネックでした。そうなったら、何を身につけようか。そして行き着いたものの1つに、今ブログを書いていることがあります。少しでも文章で何かを伝えられる力がついたらいいなって。そして来春からの仕事も薬学+αのために敢えて今と違う領域を選びました。

私なりに自分のしたことや勉強したことには自信を持っていたいから、ちょっと負荷をかけて出来ることは増やしたい、ただそれだけ。学びに欲求不満でいたいだけ。


※) 4年制薬学部に進むと薬剤師国家試験を受けられません。受けるには数年余計に学生をして履修する必要があります。
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3つにまとめたけれど、これは私が6年間の薬学生生活を通して感じた全てといってもいいくらいの3つです。

「私の方があなたより勉強したし、そんなに薬学について言う資格ないわ!」とか、「薬学の知識に関してはお前より勝ってる」とか、そういうのは私にとっては知らん、どうでもいいわって感じで、知識量がある=素晴らしい、というより知識をしっかり生かすことのほうが素晴らしいと思っています。みんなと同じじゃなくてもいいし、昔と同じじゃなくてもいいし、もう何でも好きなことやればいい。みつを

 

大学6年間で医薬品に対する考えが変わってきてとても有意義でした。こんなに自分薬のこと好きだったんだなと思うと同時に、医薬品業界闇深そ〜とも思っています。これからもこの業界をずっと近くで眺め、また何かの機会に心情の変化を記します。

 

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絵は描かないの?というコメントをいただいたので載せます。

今日の1枚『来年からよろしくね』

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あいか(Twitter: @ica1299

友人の死が教えてくれたこと。

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昨年の夏と秋の真ん中くらいの時期に、中学時代の友人が病気で亡くなりました。それについて書くには今更すぎるけれど、一周忌を終えて数ヶ月経ち、冷静にパソコンに向かえる気がしたので書き記します。

同じ中学校だった同級生たちにもいつかこの文章が届いてくれれば嬉しいし、私の同年代の人にも是非感じてほしい想いがあります。

 

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今から2、3年前くらいかな、母親から「最近入院したりしているみたいよ」と言われたことで、彼女とその病気について触れることとなりました。

 

彼女とは中学生の時に知り合いました。彼女はピアノが得意で、合唱コンクールではいつも伴奏、卒業式の時も伴奏をしてくれました。きっと中学の同級生からはその印象が大きいと思います。本当に上手だった。そして彼女は音楽科の高校へ、そして音大に進みました。1年生の頃は遊びに行ったりしたこともありましたが、部活やクラス替えなど色々な要因で卒業以降は連絡を取り合うこともありませんでした。

 

入院を繰り返しているとは何があったんだろう、とお節介な私は気になりました。薬学部というのもあって病気とかについては特に放っておけなかったのです。聞いていいのかもよく分からなかったけれど、居ても立っても居られなくて「入院しているって聞いたけど、何かあったの?」と久々に彼女に連絡を取りました。このお節介な連絡、私は後悔していません。

 

 

返事は長文でした。病名、どうして気付いたのか、今どんな状況で、どんな薬で治療をしているのか、これからどうしていくつもりなのか。久々の連絡をした私に、細かくリアルな現状を教えてくれました。明確な治療法が存在せず症例も少ない病気だった彼女の状態は軽い症状ではないにも関わらず、治療に対する意欲が強くてポジティブだった印象があります。でもその文章の影には、抱えている不安を押し殺しているような、そんな印象も同時に感じていました。

 

そして、「まだ知らない友達もいるんだけど、薬学部だし、あいちゃんなら私の病気治してくれるんじゃないかと思って全部話しちゃった!」と。

 

現実的に考えれば、私が今から頑張っても彼女の病気の治療薬を作ることは出来ないわけです。でも、薬の勉強をし続けることは彼女にとって精神的不安を少しでも和らげることに繋がるのかもしれない、と言葉にしにくいけれど決意に変わった瞬間でした。

 

 

彼女は闘病生活をブログに書き続けました。抗がん剤で髪の毛が抜けてしまってもウィッグのおしゃれを楽しんでいたし、闘病仲間とたくさん繋がって励ましあっていました。そして誰よりも、その病気を憎いと思っていた。同じく苦しんでいる人が助かるように、もっと色々な人に病気を知ってもらえるようにと願っていました。

 

私はその文章を見ていることしか出来ませんでした。こんなに強く頑張っているけれど、どこで不安を吐き出しているんだろう。むしろ私が不安でした。彼女は自分と同い年なわけで、そんなに頑張って頑張って強く居続けられるほど、まだ強くなるには若すぎない?と。

 

度々連絡を取っては、再発状況を教えてくれました。逆に私は、最近習った抗がん剤の話だったり、今後医療がこうなってほしいと思っているよ、とかそんな話をしていました。それしか出来ませんでした。

 

 

 

そして去年。研究室にいた私のもとに母から電話が来ました。亡くなったことを伝える電話でした。そこは研究室だったのに、急に涙が出てきて、いつかはその日が来ることを分かっていたはずなのに「なんで」という疑問ばかりに包まれました。

どうしたらいいのか分からなくて、バイト先の友人に泣きながら電話した記憶が残っています。中学の同級生たちに一通り連絡をして、お通夜とお葬式の日程についてお伝えして回りました。その連絡相手たちは、彼女と仲の良い人ばかりではなかったと思うし、この行動が正しかったのかは今でも分かりません。でも、一緒に過ごした人、自分たちの卒業式に彼女の存在が必要不可欠であったことは周知のことだったから、がむしゃらに連絡をしました。この事実からそれぞれが何か考えるきっかけになれば、それだけでも良いという思いでした。

 

もう働いている人、学生の人、男女問わず、彼女を見おくるために当日足を運んでいる同級生がたくさんいました。彼女の高校かな、大学かな、友人たちが演奏をしてくれて、音が絶えないお通夜でした。こんなにたくさんの友人に囲まれて幸せだったのかもしれないと思うと同時に、いやそれ以上に、もっとこの友人と一緒に過ごせる時間を延ばせたらもっと楽しいことが出来たかもしれないのにとも思いました。

 

 

そして私に残った感情は、無力感でした。結局私は何も出来なかった。薬の勉強をしたって、薬をつくることも出来ない。薬剤師になったとしても治す薬を処方することも出来ない。結局「あいちゃんなら治してくれるんじゃないかと思って」という言葉に相当するものを返せなかった。無理だと分かっていたのに、無力すぎて辛かったです。本当に。

 

後日、亡くなった彼女のLINEから彼女のお母さんからメッセージが届きました。一番辛いのは両親のはずなのに、ありがとうございましたという感謝のメッセージでした。こちらこそだよ、こっちが元気もらってたよ、と何とも言えない感情でした。でも、いただいたメッセージを通して、私は私なりに薬学と向き合っていくことがいつか彼女のためになるのではないかと思えるきっかけになりました。

 

 

 

そして一周忌の数日前の彼女の誕生日に改めてブログを見ると、たくさんの人から天国に向けてお祝いメッセージが書かれていました。こんなことってあるんだ、とびっくりしました。今でもコメントが途切れることはなく、彼女のブログはたくさんの人を支えているようでした。そして私は彼女のLINEに、誕生日のお祝い、そして来年から医薬品業界で仕事をすることを報告しました。そしてお母様に、いつか直接的ではなくても彼女の病気を治すような薬に貢献すると宣言しました。

 

 

亡くなってしまったのは悲しいこと、でも彼女の生き様は本当にかっこよかった。弱さを隠していた数年間を感じさせないくらいの強さは、健康な私よりも強かった。

 

私と同年代の人でも病気で命を落とすことは自分と無関係の話では決してない。これが彼女の死を通して身に染みて感じたことです。死を恐れるな、と言うけれど死は怖い。いつ自分の身を襲うかも分からない。でもだからこそ、今出来ることは今しなければならないということを、体を張って教えてくれたような気がします。

 

 

彼女から病気のあれこれを教えてもらえなかったら、私はここまで考えたり思ったりすることはなかったかもしれなくて、だから言いにくいことも言ってくれた彼女には本当に感謝しています。ありがとう。

 

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書けると思って書き始めたけれど、やっぱり同級生の死と向き合うのは辛かった。。
これからも応援しています。

 

あいか(Twitter: @ica1299

やっぱり患者が医療従事者に発言するのって難しいみたい。でも変わりたい。

本題の前に今私が置かれている状況とエピソードを話します、聞いてください。今だから言えることだけれど、医療従事者の方、これから医療従事者になる方に聞いてもらえたら嬉しいです。

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昨日、朝起きたら、とんでもない寒さで布団から出られませんでした。季節柄仕方のないやつではなく、これは悪寒というやつだ、と直感でわかりました。熱を測ったら38℃。あーーやってしまった。またこういう一気に体調を崩すやつです

 

病院に行きました。問診では『発熱(38.2)、頭痛、全身痛、風邪症状なし→喉痛少し』と先生がカルテに書いていたことを確認しました。頭痛がとにかく辛いということも伝えました。この時期なので、インフルエンザの検査をします、ということで恒例の鼻の奥に棒をつっこむアレをやられました。くう〜好きになれない。

 

 

15分後。

 

 

結果が出ました。インフルエンザA、Bに対して陰性とのこと。

医師『インフルエンザは陰性でした。風邪と思われるので薬出しておきます。』

私『はい。』

 

処方された薬は、PL配合顆粒(熱、鼻水などの風邪症状の緩和に効く)・トランサミン(炎症や腫れを抑える、主に喉風邪に処方されるらしい)・ムコダイン(痰を取り除く)の3種類でした。

薬剤師『総合風邪薬が処方されています。抗生物質は入っていないので、肺炎などの心配はないのだと思います。』

私『はい。』

 

私はこの処方薬に納得いきませんでした。確かに発熱はしているけれど、風邪症状はなくて、喉は腫れていたのかもしれないけれど痰の絡みは全くなかったからです。とりあえず発熱由来かは分からないものの頭痛が酷かったのです。でも、処方されたから家に持って帰りました。結局家にあったロキソプロフェン(熱や頭痛を抑える)を飲んで寝たところ頭痛は引き、37℃まで熱が落ち着きました。

 

熱が下がり、喉の痛みもさほどなかったので、処方薬が今現在必要なさそうな状況に陥っています。しかし微熱、腹痛、食べても飲んでも下から出て行くだけ。胃腸炎なのか?という今。(大人しく寝ておけって感じですね、すみません)

 

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医師や薬剤師が適切な薬を処方してくれなかったことにイライラしている、とかは全くありません。何が問題なのかと言うと、私は処方された薬が自分の症状に合っていないと思っているにも関わらず、医師や薬剤師に対して『はい』としか言えていなかったということです。

 

私が発した2回の『はい。』には、風邪じゃないと思うんだけどな〜が含まれていました。でも言わなかったのだから伝わるわけがありません。何故言わなかったのかというと、発熱で判断能力が落ちていたからでもなく、『やっぱり相手はプロだから、自分はアマチュアだから発言するのはおこがましい』と思ってしまったからです。

 

こんなとき、薬剤師の資格があったら、医療従事者だったら、自信があったら言えたのかもしれないとふと思いました。『わたし薬剤師なんですけど〜』とか言えば、もっと話し合えたかもしれない。薬学勉強してきたけど薬剤師になれるわけでもないしな、そうすると肩書きなければ素人同然だしな、とか余計なことに頭を使ってしまったり。

 

 

でもそんなこと関係なく、疑問は素直に伝えれば良かったのです。多分それが正論。その権利が患者にもあり、それを医療従事者が拒絶することはないはずだから。医療従事者である、こっちもプロだからみたいな肩書きがなくても、ないからこそ増える疑問をぶつけるのは何も悪いことではないはずです。だけど、だけど文章で今は書けているけれど、これはそんなに簡単なことではない。どこで疑問を言ったらいいのかすら分からないのです。言えるタイミングはあったように感じるのに、その状況ではどこで言うべきなのか分からない。はい、と言ったら次に話が進んでしまうから伝えられない。

 

 

医師や薬剤師からしたら何も知らない患者が、自分の持っているわずかな知識と直感を信じて提案することは勇気がいる。私のプライドが高いからなのかもしれないけれど、結構言いたいことを言えない患者は多いんじゃないかな?とも思う。患者が医師の診断に対して疑問を持つ機会は多くないだろうし、だから発言することに慣れていない。医師や薬剤師も、風邪レベルの軽症の患者から提案・疑問されることはあまり想定していないのではないだろうか。

 

患者も疑問はどんどん伝えるべきだと思いました。分からないまま薬を飲むのは不安だし、いらない薬を飲むのは体に悪いしお金もかかるし、治りが遅くなるかもしれないか。そして医師も薬剤師など医療従事者の方も、もっと患者に発言するタイミングを作ってもいいのかもしれないと思いました。病院はいつもたくさんの患者さんで溢れていて忙しいだろうけれど『何か不安や疑問はありますか?』のような、患者が口を開くタイミングをあと1箇所作ってほしいです。そうすれば、ちょっとだけ解決されるかもしれないし、今まで言えずにいた患者さんがこれからすっきりするかもしれない。

 

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人と人とは対等になるべきだし、親子も友人も先輩後輩も恋人も言いたいことは言い合うべきだと思っていました。し、思っています。だから割と私自身は言いたいことを言えてきました。でも立場が異なると、やっぱりそう簡単でもないのだなあと実感しました。がんばりたい。

 

とりあえず、早く元気になりたいと思います。 

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今日の1枚『猟奇的なかまたくん』

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あいか(Twitter: @ica1299

私の好きな人 3選

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みなさんこんばんは。文化的な1日を過ごしましたか?私は文化的に家でまったりと体を休めていました。最近ブログに書こうと思っていることがいくつかあるのですが、パソコンのバッテリーが少ししかありません。でも今日は絶対にブログを更新するぞ、と決めていたのでテーマをガラッと変えてさくさく書きます。

 

めちゃくちゃどうでもいいだろうというテーマなので恐縮ですが、たまには私のこだわりでも書いておこうという試みです。テーマは『私の好きな人3選』、ね、どうでもいいでしょう。ちゃんと異性でいくよ。番外編もあるよ。

 

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1. 知りたい人

私は勉強することが好きです。その深さは問わないので、深くやるときもあれば軽く調べ物をするだけのときもあります。でも「知らない」よりも「知っている」状態でいたいし、同じ疑問を持った人と同じ場所にいたとしたら私の方が先に知りたい。若者はすぐにスマホで調べる〜とか言われるけど、いいじゃないですか調べたって。ググるの最高です。だから、私が嫉妬してしまうくらいに「知りたい」に溢れた人が好きなのです。あわよくばその人からも勉強出来るしね。

 

 

2. くだらないことに全力な人

くだらないことは正義だと思っています。くだらないことを鼻で笑うだなんて、なんてもったいない!正直くだらないことが将来役立つかとか言われたらそうではないかもしれいのですが、価値不明なことに価値を見出したい。空想に花を咲かせるのもいいし、くだらないモードに全力でいる人は魅力的に見えます。それをずっと眺めていたいです。斜め45度から(角度大事)。そしてくだらない企画のお笑いを全力で一緒に楽しみたい。引くくらい笑うと思うけど、気にしないでほしい、楽しいから。ガキ使最高。

 

 

3. 明るい変態の人

これね、わかってもらえないことが多いのですが、明るい変態が好きです。謙虚で素直な変態が好きです。この時代、ヒトが世界を動かす権利を持っているわけですが所詮1つの生物にすぎません。もし大昔に何かが起こっていたら他の生物が権力を握っていて、ヒトは食料要員になっていたかもしれないわけです。その中で、偶然の重なりでこうやって自由に仕事をして、食べて、寝て、生活出来るのは幸せなこと。だから生物として性にも貪欲で素直でいることが「生き物らしい」と思うのです。絶滅する前にね、生き物として本能発揮していこうって感じです。かっこよくない?

 

昨日、論破してくれる女性はエロいみたいなことをTwitterで話していた男性がいたのですが、そういうのとてもかっこいいなと思って見ていました。

 

 

(番外編)

4. 横断歩道で車が止まってくれていたら、小走りで渡る人(会釈もしてほしい)

歩行者優先だから〜と堂々と歩く人は置いていきます。確かに何か事故ったら車の運転手が罰せられるけど、正直理不尽じゃない?と思うのです。飛び出してきたのが人だとしても悪者になってしまうのだから。だからさ、横断歩道を渡る数秒くらいは急いで渡る素振りしてほしいし、申し訳ないです、ありがとう、の気持ちを出してほしい。

 

 

5. 筋肉をつけすぎていない人

筋肉怖い。りんごみたいにつぶされそう。

 

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以上です。

あまり女性に理解されないので、共感は求めていないです。ちょうど今、結婚したい芸能人は?という企画のテレビ番組を見ているので書いてみた次第であります。あまりパソコンのバッテリーも消費せずに書けたので満足です★

 

あと1日がんばりましょう...!!!

 

あいか(Twitter: @ica1299

イマドキ★ヘルスケアメディアに言いたいこと

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メディアとか言いながら超アナログなノートの写真をあげたのは、私が医療分野でやりたいこと・将来やりたいことがここに詰まっているからです(汚いのは使い込んだのと自己管理能力不足)。 

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それはさておき、最近「ヘルスケア」「医療×AI」みたいな言葉を耳にするようになった気がする。私自身、医療やヘルスケアに興味はあるし、この領域がどんどんデジタル化されていく未来にも興味がある。それが実用化するしないは関係なく、テクノロジーが医療領域に食い込んできたことは純粋にわくわくする。

 

時代がそのように動けば、ヘルスケアとITを組み合わせた領域の事業を始める人は多くなる。実際にベンチャー企業から大企業まで規模を問わずにヘルスケア×ITの事業が始まった例も目にしている。多く存在する事業の中で、最近良くも悪くも目につくのが「ヘルスケアメディア」だ。
(私自身言葉の定義に詳しくない気がしているので、医療やもっと広くヘルスケアに関わる情報を発信したメディアをこのブログ内では「ヘルスケアメディア」と呼びたいと思う。製薬会社や病院等のサイトは除きます。)

 

メディアなので言ってしまえば誰が書いたっていい。だからググればたくさんのヘルスケアメディアが出てくる。本当に多い。正しい情報が書かれているかと言えば、そうでもなかったりする。でも内容は、私たち人間の体・健康、突き詰めれば命に関わってくるとても責任感の大きなメディアだ。休日デートのおすすめを紹介するくらいの気軽さではないのだ。

 

私は情報発信をすることも好きだったので、これまで大学院に通いながら会社規模も様々な3社でヘルスケアメディアのライターなどのアルバイトをしてきた。どの会社も特徴があってとても良い経験になった。メディアに触れる消費者側だけでなく作る側も少し経験するうちに、増え続けるヘルスケアメディアへの期待と不安を抱えるようになったし、こうなったらもっと良くなるのにという願望も強くなってきた。ヘルスケアって?医療って?と考え込むことも増えた。今日は最近私が考えている在るべきヘルスケアメディアについて4つほど書いていきたい。

 

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1. 医療従事者による確認がなされた情報を発信している

つまり、正確な情報であるということだ。ヘルスケアに限らないが、当たり前なようでそうではないメディアはも多い。学生の私でも「おかしくない?」と思わされるものもある。世に出回っているメディアの医療情報は医療従事者が書いた情報だと思っている方も多いかもしれないが、書いている人が医療従事者のケースもあるが、そこら辺にいる主婦や私みたいな学生だったりもする。企業側の人員等の事情もあるだろうし、書く人が医療従事者であることは必須ではないと思うが、それを誰がどのようにどんな基準で確認して発信されているのかは重要だ。

 

ヘルスケア、医療領域は趣味で済む領域ではないと思う。だからこそ、メディアの最低限のハードル以上に、この言い回しは誤解を招かないか、病気の人やその家族に不快な思いをさせないのか、というようにもっと多方面からの医療の知識や患者を含めた気遣いを集約させる必要があるのではないか。

 

おそらく10人の医師に1人の症状の治療方針を考えてもらったら、1つの答えが返ってくることはないと思う。それと同じく、書く人が多くなればなるほど読む人が増えれば増えるほど書き方捉え方が増えてくる。医学的に見て、医療心理学的に見て、その文章が許されるものなのかは学生時代の6年ないしそれ以上の経験があって初めて分かってくる気がしている。それくらいヘルスケア情報は正しさに対して厳しくあるべきだし、そうであってほしい。相手は命だからだ。

 

 

 

2. 安心感を与え過ぎず、不安にもさせる要素がある

病気になったり不安なことがあると私たちは健康な時とは違った思考をしがちになる。

私の話になるが、今日は習い事の試験があったので無意識に昨晩から気が張っていたらしい。健康だったはずが、夜中突然始まった頭痛・吐き気・止まらない涙に悩まされていた。完全に精神的要因だったのに、不安になった私はスマホで色々な病気を検索してしまった。よくよく考えればただの一時的な緊張が原因なものを、病気にでっちあげかけたのだ。お陰様で試験の終わった今は健康そのものだ(笑)。(あと寝る前に怖い漫画を読んでしまったのもありえる)

 

この例えが適切かどうかは分からないけれど、私は人間なんてちょろい存在だと思っている。ちょっとの体調不良でも、ググったらどうやら重病かもしれないと思う人もいるだろうし、逆に早急に病院に行くべき症状なのに、ググったら同じような人いるからいいか!となる人もいる。自分の都合の良い感情に現実を持っていきがちなのだ。

 

だから、「あなたみたいな症状は、○○が原因の場合が多くて、そういう人は日本で○割ほどいます」というように「自分だけじゃないから安心、そんなに思い詰めないでいいみたい」と思わせる路線のメディア。または、「あなたみたいな症状は、○○という病気かもしれない、その病気の死亡率は○○%です」というように「やばい病気かもしれない、不安で集中できない」と思わせる路線のメディア。これらはどちらにも過剰だと思う。良い悪いどちらの可能性もあることを私たちに教えてくれるメディアならば、偏った意見に惑わされることから少しは救ってくれるのではないか。

 

 

 

3. 何かあった時に逃げない体制、姿勢がある

究極を言えば、私たちはヘルスケアメディアの情報によって健康を害することがあるかもしれない、死ぬかもしれない。「書いてあったから信じたのに、後から病院に行ったらもうどうにもならないと言われた」なんてことは起こりうるし、今後この領域のメディアが増えればそのリスクはもっと上がる。そうなったときに、運営会社はどのような姿勢をとろうとしているのかは重要だ。

 

もちろんそのような最悪の事態に予め備えることは可能だ。「うちが出している情報はインターネット上の情報に過ぎないので、信じるか信じないかはあなた次第ですので責任は負えません」みたいなスタンスを鼻から出すことだ。そうすれば、「そう言われても、弊社はこういうことを出していたので」と言える。私もリスクヘッジは大事だと尊敬する先輩から学んだ。が、この場合のリスクヘッジは完全に逃げでしかないのではないか。最初から怯んでいるし、その情報の正確さに自信を持っていないとしか思えない。

 

インターネット上の情報は山ほどある。その中で正しい情報を選ぶのは私たちだから、正しい情報を選択できなかった自分が悪いのかもしれない。でもこれは、卒論データに適した情報を拾ってくるのとは話が違う。大袈裟かもしれないけれど、人の命に関わる情報だ。最初から逃げられても困るし、それくらいの気持ちでいるならやめてほしい。人の生死に責任をとれるだけの信念を持った人たちが運営していくべきだと思う。私たちの命を軽く見ないでほしいのだ。

 

 

 

4. “心から”人の健康と幸せを考えている

そう思っているからヘルスケアメディアを始めたのだとは思うし茶番っぽいけれど、やっぱりここは大事だと思う。医療×ITは流行りだし、始めれば注目もされるし出だし好調で儲けも出やすいのかなとは思う。だからなのか、ぜんっぜん今まで違うサービスをしていた人が急に「医療始めました♪」となっているのを見たことがある。そこにきちんとした問題意識など背景があればいいのだけれど「人は健康であるからこそ、好きなことが出来るので〜」というそもそも論を展開しているのだとしたらやめてくれい!という感じだ。

 

そりゃ健康でなければ何も始まらないかもしれないけれど、そんなこと就活生でも言える(実際就活中に耳にしたことがある)。「人がいる限り、ヘルスケアはなくならない業界だからやる意味がある」と言っていた企業もあった。確かにそうではあるが「え、だからやるの?もっとないの?」とちょっと思ってしまった。なくならない業界だから、それだけ競合もいる。だからこそ他の企業がやらないオリジナリティなヘルスケア事業を自分の会社でやっていかないといけないのではないか。

 

多くのヘルスケアメディアが生まれている今だからこそ、単純に人の健康を思うのではなく、もっと私たちは気づいていないけれど実は抱えている具体的な医療問題を追及していくメディアが増えていってほしい。

 

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ここまで書いておきながら、ヘルスケアメディア運営しているのって会社だし、会社相手に自分言いたいこと言っちゃってるのやばいのではという複雑な気分です!!怒らないでください関係者の方!!でもこれから始める方には少しでも参考にしていただきたいです!!

 

まあ私が薬学を学んでいるから過剰にこの領域の話に敏感なだけで、他の領域のメディアとかも同じようなことがあるのかもしれないけれど、でもこれが今の私の純粋な意見であります。

 

そうでなければ、せっかく発展し始めてきた医療領域へのテクノロジー全てが信憑性の薄いものになってしまいそうで怖いから。少しでもインターネットというものに不信感を感じる人が増えたら、テクノロジーが悪だと感じる人が増えたら、今後もっと命に関わるこのヘルスケア領域にそれらが参入することを私たちは拒絶してしまう気がするのです。

 

  

これからも新しい研究が、技術が、医療に導入されて未来が明るくなりますように。
そして私もいつかはそこに貢献できますように。

 

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今日の1枚『言いたいこと言ったけど許してね、の図』

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あいか(Twitter @ica1299