あいかりんの絵日記

気まぐれで私の描いた絵がついてきます

他人と住むこと、住まわれること

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この冬、25年間生活してきた実家を出た。そして一人暮らしをすることなく、他人との共同生活を始めた。他人というのは交際相手なのだけれど、血も繋がっていなければ法的に結ばれているわけでもないので、ここではあくまでも他人として書いていきたい。

 

「同棲どう?」というよく聞かれる質問に、いつも私は歯切れの悪い答え方をしてしまう。それは『同棲』という言葉に、どこか悪いことをしているような歪んだ気恥ずかしさがあるからかもしれないし、本当に歯切れの悪い感覚があるからなのかもしれない。まだそれは自分でもはっきりしていない。

 

 

私はこれまで家事と程遠い生活をしてきた。寝っころがれば私の好きな毛布をかけてもらえたし、喉が乾いたと言えば飲み物を持ってきてもらえたし、黙っていればご飯が目の前にあり、食べ終われば片付けられて、食後のコーヒーが目の前に置かれていた。それが当たり前だった。

今は。朝起きたら、週末に作った慣れない作り置きごはんをおかずに朝ごはんを食べ、寝る前に使ったマグカップと朝ごはんの食器を洗い、着替えて、歩いて駅に向かう(高1から家から駅まで車で送り迎えしてもらっていた)。仕事から帰ると、作っておいたお味噌汁を温めて夜ご飯の準備をする。その間に、溜まった2人分の洗濯をする時もあれば掃除をすることもある。食べる、洗う、干す、掃除、入浴、就寝。待機する時間が驚くほど無くなった。

 

普通にしんどい。

 

と思ったことが何度もある。結構ある。わりと今も。しんどさとは。

1つは、今までの自分の生活環境を保つことがいかに難しいかを日々突きつけられることだ。掃除しないと汚れること、冷蔵庫に入れないとカビが生えること、洗わないと溜まること、買わないと無くなること。知らなかったあれこれを目の前にして、今まで家族がやってくれていた時、あのいつもの当たり前を維持したいという思いが強くなった。結果的にその思いは仕事で疲れた私を追い詰めたし、ぱるるを超える塩対応を家で数日し続けることになった。

 

もう1つは、他人のために家でも何かをしなければならないということだ。各々がやればいい、という話だとも思う。ただ共同生活相手は生活が苦手だ。プログラムには細かいのに、生活には細かくない。ただ私は、知り合って長い付き合いであるこの人がいい年をして洋服が乾いていないだの着るものがないだの慌ただしい生活をする姿を見たくない。いやいや笑っちゃうよという感じだけれど、仕事や好きなことに集中できる環境を作ってあげたいと思ってしまうし、イケてる男性であってほしいと思っているし、何かの流れで女の子とアクシデントがあったときに冷められるようなだらしない下着を履いていてほしくないと思っている。

 

結局のところ、自分の理想を追いかけすぎているがために、しんどいのだ。理想を少しずつ自分に合わせる必要がある。でないとどんどん苦しくなる気がする。

 

 

でも、実はしんどいことだらけでもない。

 

ゴッドタンを見て一緒に爆笑もできるし、やれたかも委員会を見てやれたかも議論を熱く交わすこともできる。小腹が空いた夜にほろ酔いでコンビニスイーツを買いにいき、シェアするのもわくわくする。Google homeで会話するのも何だか面白い。今だって、勝手に電気もテレビも消えて真っ暗の部屋の中で一言も話さずにお互い自分のパソコンの光だけを頼りにして別々のことをしている。これはこれで面白い。
あれ、結構楽しいのでは。

 

他人との共同生活は、しんどいことも確かにたくさんあるけれど、それが蓄積して自分が崩壊するすれっすれのところで思わず笑ってしまう出来事もある。それは他人と自分は生き方も感じ方も何もかも違っているから生まれるしんどさであり、違っているから生まれる面白さなのかもしれない。その面白さを消さないためにも、ある程度はすり合わせ、ある程度はそのままにする、をきちんと作っていきたい。まだその構築が上手くできていないから、しんどいウェーブに度々襲われるのであろう。

 

まだ私は生活の仕方が確立できていない、ランドセルに背負われているような小学1年生的な、他人に"住まわれている"状態だ。少しずつ、この家で他人と"住んでいる"を充実させていきたい。そんな私の近況報告。

 

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今日の1枚『女の子のテンションを一瞬であげるチョロセット』

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あいか(Twitter: @ica1299